オークボアツコの「筋肉豆知識」

オークボアツコの「筋肉豆知識」

胸鎖乳突筋

きょうさにゅうとつきん、ちょっと長いネーミングの今回の筋肉ですが、ラテン語でも同様、長いです。「sternocleidomastoid」、スターノクレイドマストイド。ハリーポッターか何かに出てくる魔法の呪文みたいですね。北杜夫さんの『どくとるマンボウ青春期』に「解剖学で一番長いラテン語名」として登場する、とのことなので、ワタシも今度読んでみようと思っています。

実はこの名前、筋肉の付着部をそのまま並べてある分かりやすい名称で、「胸(sterno-)」=胸骨(胸の真ん中、ネクタイのような形の骨)、「鎖(cleido-)」=鎖骨、「乳突(mastoid)」=側頭骨の乳様突起(頭蓋骨の、ちょうど耳たぶの後ろあたりに触れる突起)を表しています。体表からも非常に分かりやすい位置にあり、振り向いたときに、耳から両鎖骨の中央まで、首に斜めに大きく浮き上がって見えます。輪郭が見えやすいので、走行が分かれば筋肉を指でつまんでみることもできますよね。だいたいササミくらいのボリューム感だと思います。

この筋肉は、左右両側が同時に働くと首を前方に曲げる動きが起こり、片方が働くと頭を横に向ける(右の胸鎖乳突筋が収縮すると右に振り向く)動きが起こります。胸鎖乳突筋は、二足歩行を行うヒトへの進化の過程で、このようにくっきりと大きい筋に発達したようです。約5kgもある重たい頭部を胴体の上に支え持ち、かつ柔軟に頭部を動かすために大きく発達したのでしょう。したがって、地球上の重力下では、頭を支えるために常にある程度の筋力を発揮し続けているとも言えるのです(もちろん脊柱を支えている頸部の脊柱起立筋群の力も大きいですが)。なので、通常の生活をしている限りにおいては、改めて「胸鎖乳突筋の筋トレをしよう!」とは特に勧めなくてもいいかなと思っています。あ、もちろん、例えばレスリングやラグビーなど体勢を低くしてタックルを行うような競技や、打撃や寝技を行うような武道、格闘技においては、頸椎へのダメージを防ぐため、頸部の筋肉を太くたくましく鍛えて強度を上げておく必要があるでしょうけどね。

実際のところ、この胸鎖乳突筋は、日常のストレスなどで硬く緊張して凝り固まったような状態になっている方も多いのです。もちろん頭の重量や姿勢の悪さに起因する物理的なストレスも勿論なのですが、この筋肉はちょっと特殊な部分があり、筋肉の緊張状態が心的な不調にも反映されやすいと言われています。なぜなのか。胸鎖乳突筋を収縮させる脳からの命令を伝えているのは「副神経」という神経の枝です。この「副」は英名では「アクセサリー(=付属品)」と言います。副神経は「迷走神経」という非常に重要な自律神経の一部、すなわち付属品のような位置づけの神経なのです。迷走神経は内臓にまで広く枝をはりめぐらせ、心拍数や消化器の動きなどを無意識下で24時間調節し続けてくれています。意識的に骨格筋を収縮させる「運動神経」が、無意識に体内を調節している「自律神経」と密接にかかわっている例は珍しく、このため、精神的なストレス等で体内の調子が狂っていると胸鎖乳突筋も過剰緊張となりやすく、逆に胸鎖乳突筋が物理的ストレス等で硬く凝り固まっていると体内の消化器などの蠕動運動も不調となりやすいのではないかと言われているようです。

「自律神経失調症」という言葉がありますが、これは、生きていくために必要な体内のバランスを意識せずとも整えてくれている神経の調節機構がおかしくなることで、明確な病変はどこにも見つからないにも関わらず様々な不調の訴え(不定愁訴)が生じる状態を指しています。保たれているべき体内のバランスが崩れる…例えば、緊張する場面ではないのに動機がしたり、暑いわけでもないのに異常に汗をかいたり、胃酸が出すぎたり、体温調節がうまくできなかったり…症状は人によって様々です。ひいては、こういった諸々の身体症状が、情緒不安定やイライラなどの精神的な不調につながることも多くあります。迷走神経は、身体がリラックスした状態にあるときに優位に働く自律神経で、これがきちんと働いている時は、例えば、心拍はゆっくり落ち着いたものになり、消化器の蠕動運動は活発になり、消化液の分泌も促進されます。ただでさえストレスフルな現代において、迷走神経を上手に働けるようにしておくことが、様々な不調を減じることにつながるのではないかという気がします。

さて、ご自身の胸鎖乳突筋を指でつまんでみてください。強くつまみすぎると痛いですから、あくまでも気持ちいい程度の力で。硬く凝り固まった感じはないですか?ちゃんと適度な弾力がありますか?耳の後ろから鎖骨の中央まで、筋肉の端から端までを軽くつまむようにしながら指を移動させ、全体を軽くもみほぐしてあげましょう。耳の後ろの胸鎖乳突筋の付着部あたりに指先を押し当ててぐりぐりと圧迫するのもいいかもしれません。ひどい肩こりの方も、人によっては胸鎖乳突筋の緊張をほぐすことでずいぶん楽になる場合があるようですよ。

また、スマホやPCの操作を長時間行うことで、あごを前に突き出し、首全体を短縮させるような姿勢で前方を注視する時間が長い方に、ぜひ習慣化してほしいのが、首のストレッチです。難しくないのでぜひ作業中に時々取り入れてみてください。両手をだらりと垂らし、肩をしっかり下げた状態で、天井を向いて顎先を上に突き上げるようにして首の前面を伸ばします。10~20秒程度。首を戻して、ゆっくりとできるだけ大きく首を回します。左右ともゆっくりゆっくり、胸鎖乳突筋が引き延ばされる感覚を意識しながら、お好きな回数行います。首回りがぽかぽかと、血流が良くなる感じが分かる方もいらっしゃるかと思います。また。両手の人差し指から小指までをそろえ、両方の鎖骨に引っ掛けるように軽く押し込みます。普段わざわざ触らない箇所ですので、これだけでも気持ちいいと感じられるかもしれません。ここから、ゆっくりと軽くイヤイヤをするように、頭を左右に回します。地味な動きですが、習慣化しておくと、筋肉をやわらかく保つことができると思います。筋肉も内臓も、ゆるやかに動かしていけるよう、身体と心のストレスを上手にリセットできる術を身につけておきたいですね。さ、読者の皆さまも、集中して細かい文字を読んで首が疲れたでしょう。レッツ・ストレッチです!

<プロフィール>

オークボアツコ

1978年3月生まれ。♀
本職は大学講師・理学療法士。その傍ら、絵の製作活動などやっています。
そんな諸々の素性が重なったご縁で、このたび「筋肉かるた」読み札の挿絵を担当させて頂きました。
趣味はランニングと飲酒を少々。筋トレでなく肝トレに励んでいる日々です。

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